はじめに
先日、社員で石川県・輪島市を訪ねました。2024年元日に発生した能登半島地震から1年余り。テレビやニュースで被災の様子は何度も目にしていましたが、実際に現地に立ってみると、画面越しでは決して伝わらない「重さ」が、街全体に漂っていました。今回はその記録を書き残しておきたいと思います。
のと里山海道で感じた異変

金沢方面から能登半島を北上する幹線・のと里山海道。この道を走り始めてすぐ、異変に気づきます。路面のあちこちにひび割れや段差が走り、片側交互通行の応急復旧区間が断続的に続く。舗装が剥がれ、めくれ上がったアスファルトの塊が路肩に積まれたままの場所もありました。地震の揺れが、いかに広範囲に、いかに激しく大地を揺さぶったか。走行中の車内でも、その痕跡をはっきりと感じ取ることができました。
歪んだ街並み──輪島市街の交差点

輪島の市街地に入ると、爪痕はさらに生々しくなります。交差点では信号機が支柱ごと傾き、横断歩道の白線が地面の歪みに沿ってうねっている。歩道のブロックは波打ち、石柱が根元から倒れ、敷石が崩れて散乱した区画もありました。かつての日常の風景が、わずかに、しかし確かにずれてしまっている。その違和感が、かえって被害の大きさを物語っているように感じました。
大地が動いた──地盤の隆起
特に強く印象に残ったのは、地盤そのものの「隆起」です。海岸線がせり上がり、かつて海だった場所が陸地に変わってしまった地域もあると聞きます。実際、海沿いの棚田跡や港の周辺では、地形そのものが変わってしまったことが素人目にもわかりました。私たちが「動かないもの」と信じて疑わない大地さえ、自然の前では一夜にして姿を変える。その事実を、これほど直接的に突きつけられた経験はありませんでした。
それでも、街は静かに動き出している

こうした光景の前では、つい言葉を失います。けれど、ただ立ち尽くしているだけの街ではありませんでした。応急復旧の進む道路、片付けられていく瓦礫、整えられつつある区画。傷の深さと同時に、その傷に向き合い続ける人々の営みが、確かにそこにありました。
報道で「能登」という地名を聞くたびに、これからは具体的な街の表情を思い浮かべることになるのだと思います。次回は、それでも力強く前を向く輪島の「今」、そして受け継がれる輪島塗の美しさについてお伝えします。